昭和49年12月10日 月例祭における教話
( )は御本部の報徳祭を頂かせて頂きました。合楽から46名ですか。それから、まあ、あの、佐田さんの御親戚の方があちらから見えて、まあ、言うなら合楽関係が50名余りお参りが出けておったのでございますけれども。本当に相済まん事だ、えー、今日も金光様、あの、御祝詞を頂かせて頂きよりましても、こういう大変な意義を持ったお祭りが、全教からこれだけの事で、ああ本当に相済まんな。しかも一日(中?)でございますからね。
んー、いわゆる先日からも思わせて頂いたんですけれども、二代金光様、または三代金光様。そして、まあ私共にとっては先覚の先生。例えて言うと、九州にその元を取られました桂先生。または、そのお弟子であるところの、次々と福岡の吉木先生。または久留米の初代、石橋先生。または、三井教会の初代荒巻弓次郎先生。また、手続きは違いますけれども、やはり小倉のお弟子さんでありますところの、甘木の安武松太郎先生と。
そういう方達が道の上に、特に九州の上にこのようなごひれいを打ちたてて下さったんですから、その方達を偲ぶというような程度のお祭りにしか感じられなかった。本部から出ております新聞にも、報徳祭という事について、先覚初志の御信心を偲ぶといような事が書いてございます。いくら偲んだところで、私はつまらんと思うです、喜ばれんと思うです。いやあ、初代は偉かった、初代はどうじゃったというその、称えておるだけでは駄目だと思うんです。また偲んでおるだけでは駄目だと思うんです。
ね、本当に先生、貴方がたの信心がこのように伝えられて、それがいよいよ、ますます有り難い事に発展しておりますという事にならなければね、私は報徳、徳に報いるという事にはならないと思うです。年年歳歳寂しゅうなる。もう今度は、久留米地区だけは特に団体も出けなくて、ただ合楽が( )団体で参りましたばっかりです。福岡、北九州は団体が出けたらしいんですけれども、久留米は、特にそういうように寂しい事でございました。
まあ、おかげで汽車は大変、楽でございましたけれども。えー、そういうお祭りを、まあ頂かせて頂いて。せめてね、もう本当に合楽がもちっと力を頂いておるならば、合楽がもちっとマシな信心を現して行けたならばと、その事ばかりを今日はまあ、願わせて頂きました。祭場に参りましたら、いわゆる日本一と言われる玉水のあの旗が、両方にこう立ってるんです。それの真ん中に合楽の教会が立ち、えらい真ん中に合楽の教会たくさん参っておるごたるけれどもね、いわば、まあ50名余りの事。
玉水さんにしたところで、阿倍野辺りにしたところで。ね、月々千名、または二千名からのお参りが(あるという?)。とても素晴らしい事です。ね。そこで私は、今日は奥城でその事を教祖様にしみじみ、本当に今日の報徳祭というのは。ね、それこそ九州のお祭り。桂先生が御本部にわざわざ懇願なさる、お願いをなさって。そして、この四神様のお徳を称えるお祭りをして下さったという事が、報徳祭のはじまりである。
言うならば、当時は九州のお祭りとさえ言われておったお祭りが、だんだん、もう九州のお祭りじゃなくなって。もちろん、全教のお祭りになった訳でございますけれども。ね、とりわけ、私は桂先生の御信心を継承するというか、者にとっては、二代金光様、いわゆる私共にとっては三代金光様の御威徳を受けて。そして、現させて頂かなければ、報徳祭、お徳に報いるという事にはならないと、まあ思わせて頂いた。
そこでです。ね、例えば阿倍野辺りなんかは、月々二千名からのお参りがあるという事ですが。どういうところが違うたらね、こんなに違うもんだろうかと、私今日、しみじみ思わせて頂いた。そしたらね、私の御心眼にね。あの、御本部の、あの本部の下の方へ大盛り台にお神酒の、皆さんも御承知でしょうか。あの、御本部では白紙に包んだようにしてお神酒がお供えしておる。この、銘柄が出てないんですよ。
だから、ちょうどおそらく白紙に包み返られるのかも知れませんけれども、白紙に包んだ、ちょうど、まあ、行く流れでしょうか。百本くらいの一升瓶のお神酒がお供えしてあるところを頂きました。ね。まあ、それの十分の一か、二十分の一に致しますと、合楽はどういう事になるか。それこそ、まあ二本か三本かというところじゃなかろうか。もちろん、お神酒という事は、有り難き、勿体無き、恐れ多きの三酒を奉れと。
神様が、何が何でも一番の喜び、一番のお供えを神様が喜んで下さるのは、三酒じゃと仰った。三酒というのは、もちろんお酒という意味ではありませんけれども。いわゆる、私共の心の底から生まれて来る有り難き、勿体無き、恐れ多きの三酒を奉れと仰ったという事。そのあり難き、勿体無き、恐れ多きのです。言うならば度合いが、私共は泉尾、玉水、または阿倍野辺りのああいう大教会の何十分の一かぐらいしかないという事を、改めて気付かせて頂きました。
そして、今日わたしが頂いた事はです。または、あの、その、今年あのお願いさせてもらいよりましたら、そのお神酒の大盛り台の下に、もうギラギラと光る八波の御紋章を頂いた。ね、どういう事かと言うとね、金光様貴方のおかげでという思いが、止むに止まれんほどしにあると同時に、その思いが言うならば誰よりも強いという事です。金光様、貴方のおかげで。私は今日はここんところを、はあ、これは私共が足りないはずだと思いました。
もう、20年も前の事でございましたでしょうか。合楽から、それこそ40~50名の団体参拝をしました。ただ、ぞろぞろ、ぞろぞろと、あのお広前に集まって見えれる、これが阿倍野の先生げな、御信者さんげなと言うて、もうとにかく瞬く間にお広前がいっぱいになりました。そして、10人あまりの、まあ取り巻きと言うか、先生方に取り巻き、囲まれるようにして、その阿倍野の先生が、当時はまだ60歳ぐらいだった。ね。
もう本当に、体格の良いおばあちゃまですけれども、それこそ沢山の御けんぴを、こんなに恭しゅう、ここをね、こちらから、こう通ってお出でられるんです。お共の方達が、先生方がこう、信者はもうお広前いっぱい。合楽の( )その辺のこうやって、御結界の向こうの方へこうやって、それを拝ませて頂いとった。それで先生が、三代金光様の前に出られてから、意義を正されて、金光様おかげを頂きまして有り難うございますち言わっしゃった。
もうその有り難うございますがね。私は側で聞いとってから、もう身震いの出るごたる有り難うございますでしたよ。たったそれだけです、ごちゃごちゃ仰らんです。私共は、もう金光様を見たら、(ごたごた?)はモノが出ません。けれどもね、阿倍野の伊藤先生の、金光様おかげを頂きまして有り難うございますというのは、もうそれっこそ、もう千万無量というのはこの事だろうか。とても、千両役者でも出ける事っじゃないほどしの有り難うが。
私は、思わずその当時の椛目の御信者さんに申しました。ほらほら、今の有り難うございますを聞いたかと。これだけの沢山お信者が助かっておるのは、あの伊藤甲という女の先生の、あの有り難うございます。あれから、これだけの信者が生まれたんだ、おかげが生まれたんだと言うて、聞いて頂いた。もう、それが私がもう、止みつきになるほど、その有り難うございますがね、忘れられない。そして、たまたま、去年一昨年でしたかね。あちらの朝の御祈念にその事のお知らせを頂きましてです。ね、あちらにあの、それこそやらせて頂きました。
私は昨日、朝ここの、控えて朝の御祈念前に( )とりましたら、何げなしにちょっと引き出しをあの、引き出しましたら、ちょうどあの、阿倍野の、に私共が参りました時の、高橋さんが写しておられる、あの祈念写真のアルバムが、それだけが一冊ころっと出て参りました。それで、その事をです。また、あの、御祈念前に私はそれを見せて頂いて、本当に今度の御本部参拝の時にはね、あの、本当にこういうお徳に触れたい、おかげを受けさせて頂きたいという事を、やはり思うておりましたから。
とりわけでございましたでしょうけれどもです。ね、それはもう、何とも言えん、もう80いくつでしょうけれども。ね。もう、それはもう、その何と言うでしょうか。実意丁寧にはもう、こう、もう、ただただ驚きでございました。私ぐらいの、言うならば、まだ名もない九州の片田舎から出ている、いわゆる田園教会の大坪が来ておるという事を聞かれてですね、わざわざ若先生とお二人で、もうそれこそ、わざわざ泉南の教会までお出でられたんですから。私共が行かなきゃならんのに。
もう、本当に私はついでにお出でられるかと思うたら、そんな段じゃなか。もう、わざわざ小倉から、まあ、ここまでぐらいの距離があるそうですがね。私の為にわざわざお出で頂いたんです。そして、その日は京都の親教会に、の関係に当たる、京都の教会に( )お礼参拝をすると。しかも、何と私共のおかげ頂きました日が、50年の記念のお祭りという事でございました。
それこそ、伊藤甲先生がもう、50年間掛かって蓄えられたところの有り難うございますをです、神様にお礼を申し上げる、その有り難いいっぱいの伊藤甲先生にお会いさせて頂いて。泉南教会のお広前で私がそこで、先生と対面させて頂いた。もう貴方、もう私が頭下げると、またもう、もうとにかく頭を下げ合う事で、三十分間、(小?)一時間ぐらいであったでしょうか。
もう、ただただ、二十年前に、先生貴方にお目に掛かりまして。ね、(おもの?)も申し上げた事もございませんけれども、あの時の先生の金光様へ申し上げられた、あの有り難うございますが、今にもこの耳に残っております。ああいう有り難いというような信心はどっから頂いたら、どういう信心させて頂いたら、頂けるでしょうか。ところが、その事は仰いません。とても教えられる事じゃないと思う。
そして、私は改めて、今日気付かせて頂いた事は、ただ有り難いという事だけではない。ね。先生のお話の中にありますように。ね、自分は18の時に、もう一切を有り難い、有り難いで受けて行こうと腹決めたと仰る。ね。落語の、を聞かれた。そして、えー、その、継子、まま母のお話を聞いて。ね。それで、そのどんなに例えばイジメられよっても、ただ有り難い、有り難いで受けて行ったという、その(ままここ?)の話を聞きながらです。もう、これで私も生涯を終わらせてもらおう、これで行こうと、いわゆる決心された訳です。
ね、それは、そのやっぱり女、あれだけのごひれいを立てられるからには、まあ今でも、あれ、あの、あちらはどうかおかしいとか、何とかというような風評が、評判が立っておるという事ですけれども。結局、現在の合楽の場合と同じような事じゃなかろうか。けれども、その一切を有り難い、有り難いで受けて行かれる。だから、ただ、有り難い、有り難いで受けて行くという事だけを思うておったんですけれども。
今日の、私は、今度の御本部参拝を頂かせて頂き、分からせて頂いた事はです。ね、いわゆる金光様、貴方のおかげでというところなのです。今、合楽で言われておるところの、自力から、ね、脱却して他力の信心というのはです。もう伊藤甲という先生がもう微塵もない。ね、金光様、貴方のおかげで阿倍野が立っております、沢山の人が助かっておりますという事がです。金光様、貴方のお取次ぎ、貴方のおかげによってという事に、もう絞られておるというところが、はあ、ここに初めて気付かせて頂いた。
ね、ただ私も、とにかく有り難い、有り難いで受けて行こう。成り行きを大事にさせてもらおう、御事柄で受けて行こう。ね。けれどもね、ここのところの、今日の例えば、有り難い、勿体無いというその度合いがね、私と伊藤甲先生と言うたらば、それこそ百分の一しかないほどしの有り難さ。いや、もっと低いかも知れない。ね。
ですから、どうでも、やはり有り難き、勿体無きというその心がね、頂かれなければならないのだけれども、その頂きどころが一切を有り難く、有り難くで受けて行くという事だけではなくて。ね、伊藤先生の場合は、金光様貴方のおかげでというのが、あの千万無量の思いを、言うならば響かせながらお取次ぎを願われた数十年前の伊藤先生の御信心であったなと、私は思わせて頂いた。もう、これはね、素晴らしい事です。ですから、金光大神の言うなら御威徳がそのまま阿倍野の教会に通うて行くのであろうと、こう思わせてもらいました。我力がない。
ね、先ほど山田先生がお話を申しておりましたように、お道の信心はお取次ぎを頂くという事が一番有り難い。お取次ぎの素晴らしさという事をです、一御信者の濃化の方が。ね。田んぼの手をかける事も出けない。他所よりも、うんと遅れて植えたあの、田んぼが。ね、大変、それこそ金光様にばっかり参って田んぼせんからと言うて笑われておった人が、面目を施した。同時に、神様の天地の御恩徳の、その凄まじいまでの働きにです。いわゆる、天地の大恩をいよいよ深く分からせて頂く、また頂いたというお話を致しましておりましたですね。
たしかにそうです。御取次ぎを頂いての働きというものは、頂くと頂かんという事は、天地ほどの違いでございますけれども。その御取次ぎを頂いて、一切が貴方のおかげであるという、その思いがね、いよいよ強うなる。そこにね、どういう信心させて頂いたらその思いが強うなるかというところにです。ね、私共はこれからの信心が掛けられなければならないと、こう思うのです。
ね、せめて十本ずつぐらいでも、おかげを頂きたい。今、毎朝、朝の御祈念に参ってみえられる御信者の方で、もう大変な難儀な問題ですけども。私は、とにかく不思議でたまらなかった。月桂冠のあの特級酒がね、お供えが今日は沢山してあったでしょう、(こう?)裸の分、あれがそうです。
毎朝お参りしてみえるんです。はじめは、あの、二本じゃった。したら、明くる日は三本持って来なさいました。その明くる日は四本です。その明くる日は五本です。その時は六本です。今日はおそらく、私がおらなかったけれども七本じゃなかったじゃろうかと思うんです。ね。もうそれがね、その実際のその問題がね、もうおかげと思わなければおられないほどしのものの、有り難さというものがです。ね、それこそ一本ずつ増えて行かれよるという感じです。
朝の御祈念に参ってみえると、この頃はちった自分、あの、恥かしかか何かじゃいじゃか、もうこちらの方から持って見えますもん、朝の御祈念の時。ね、朝の御祈念の時、皆さん来れるでしょうが。ね。私は昨日もお届けさせて頂いた時までは、結局一本ずつ増えて行って、六本になった。おそらく今日は七本であっただろうが、本当にそのおかげをね、もうおかげと実感するからです。ね、あれでいっちょ置いて行ったら、百本ぐらいにはすぐなるだろうと、私は思いました。
やはり、おかげをおかげと感じらなければ駄目です。感動がね。そこでです、私共がこの有り難いというものをキャッチする、その心の状態というものがです、いよいよ本心の玉を磨かなきゃいけん、その日、その日の改まりが第一というところに、やはり焦点を置かなければいけない。今度の御本部参拝は、行きがけも私一人、特別の寝台車を準備して頂いて。
まあ、勿体無いお参り。帰りも、もう空のような、あの、(五輪車?)でしたが、勿体無い。ところが、まあ次から次と、あの、合楽の先生が一人であの、あれに乗っとるという事を甘木関係から、福岡あっち、(ところが関係なか?)全然知らない先生ですもん。はじめは、安武先生と佐藤先生が挨拶に来ました。ね、そしたら、もうあそこで掛けてから色々お話をさせてもらいよったら、社長さんが目くばせをして、立って下さいて、座らせん訳ですよね。
ところが、もう次から次と、今度はその話を聞いたんでしょう。その、やって来るんです。今日はまた、あの沢山の差し入れがね、広島からございました。それから高橋さんが、それが色々、あの、(あまな、たらな?)を揃えて持って来ておられました。ですから、あの、私は皆さん方に、まあ出しましたから、えらいその、まあ酒もありゃ、甘か物もあるけんお前行って食べち来いち言うたのかも分かりませんよね。全然私は知らない。ね。
もう、それこそ、まあ、あるから、もう別に重雄さんなもう、具合が悪いけん休んでおられましたから。あの、その、まっ、あまなからなを食べてもろうたり、飲んでもろうたりして、まあお話させて頂く事がです。ね。いわゆる、合楽で今言う、その言われるところの合楽示現活動という事が分からない。一般では、まあ大変な評判になってる。悪い意味で評判になってる。しかも、この頃また、みょうな事始めちから大黒様まで拝みよるげなというのが、大変なまた評判になった。
だから、この頃から注意を受けて。ところが、どげん今度は十六体もまた、今度送って来た。だから、今度は百六十五体か、百七十体余りになる。今日の、今日また沢山、大黒様が勢揃いしておられます。また、後はまだ注文がしてあっとります。あんまり売れるもんじゃけん、あっちのがちっと欲の出たごたる風で、今度から値上げするち言うて来たそうです。はっはっは。という、ですから、やはりその、( )をその、思うんでしょうね。大黒様をお祭りする。
しかも、教会長であるところの、末永先生とか、富永先生辺りが、その大黒様ばあの、受けて帰って、拝まれる。ね。ところが、やっぱり金銭のお供えが、もう(富に?)多くなったと言っておられます。特に金銭のお供えが多くなった。日に二万円ずつもお供えすっとがおるげな。今日一万円お供えしたら、明くる日は二万円。ところが、またおかげ頂く事ばさらか。なら、今日のその、お酒じゃないけれども、おかげをそこに。おかげの実感というものをね、感ずるからそれが出けるのです。
ね。まっ、その事について、まあ色々説明をさせて頂いて、分かったような、分からんような。ああ、本当にこの人達はやっぱ酒飲みに来ちゃったっじゃろうかというごたる風でその、もう食べるとだけば一生懸命でやらっしゃる人もおりゃあ、飲むとを一生懸命やる人もおるごたる風でですね。それで、もうとうとう車掌さんがですね、最後に言わっしゃらんごとなったです。4~5人ずつ、(ズラー?)いつもおるもんじゃけん、あそこへ。
だから、私が車掌さんがここを通られる時に、私が目顔でね、すいませんという風にこうするんですよ。だから、もう言われなさらん訳です、空いてるもんですからね。そしてね、私は最後に皆集まって、今日の貴方がた教官の御挨拶を聞かれましたかて。教官と言えば、お道の言うならば総理大臣です。ね、最後に御挨拶がありました。もう今度の教官は素晴らしいと私は思うておるが、今日の御挨拶を聞かせて頂きながら。もう、本当に素晴らしいお方だなあと思うた。
私は、ちっとこう、眠気ん来よったです。したら、安田教官の話が途中から熱が入ってきた。もう、ただの普通の挨拶のところでは、眠気が来よった。ところが、自分自身の信心を語り出しなさったら、もう、もう途端にこの何と言うんですかね、元気が出られました。思わず私は、こっちも目が覚めました。ね、そして、その言われる事を、私は高橋さんにちょっと書き止めておいて下さい。皆さん、お参りになった方は、あのお聞きになった。こういう事を仰いましたです。
今までかつて、金光教で聞いた事がない。自由にして、創造的な金光大神を頂きたいと仰いました。ね、自由にして創造的な、ね、金光大神が頂きたいと。今までの金光教は一つの枠を作って、これが金光教だ、それが間違ってるんだと言うて、どのくらいな、いわば本当の信心を頂いた人達が道に迷い、そしておかげを落して行ったか分からないです。ね。
あまりにも金光教が小さい枠の中にはまり込んでしまっておるところをです、自由にして、なお、ね、創造的な金光で、金光大神の御内容というものは、それはもう大変なものなんです。拝み信心があっても良い、御霊関係ばっかりの事を言うておっても良い。御祈念力で一生懸命、御祈念さっしゃる先生があっても良い。どれがあっても良いのだと。それからと言うて、ならお話が上手な先生があっても良いのだと。
ね、それで人がもし 助かっておるならば、それで良いじゃないかと。ね。金光様、金光様と言うてです。ね、大黒様どん(おごれ?)という、今日私は申しました。今日のお祭りを頂いた桂先生が。ね、九州に道を開けた桂先生をお差し向けになった時に。ね、この福神を、ね、祭りならば家に宝の作る事なしと、教祖様の事を福神と表現しておられるじゃないかと。
合楽でね、言うならばその福神という事をです。ね、福神を拝むのじゃない、言うならば大黒様を拝むのじゃない。この大黒様は親先生だとして皆が拝んでるんだ。親先生を拝むという事はです、金光大神を拝むという事に直結する事なんだ。ただ、柏手して拝む事だけでも。ね、おかげが伴わない、おかげが付いて来ないような拝み方ではいけないんだと。通わなければいけないのだ。
そういう意味で、合楽での大黒様はね、銘々が通う。親先生が冷たいお水を召し上がるから、(おすぎ?)だからお茶( )だから。ね、果物をお供えする。ね、お菓子をお供えする。そうして行く内にです、いわゆる親先生の大黒様と交流する。もう親先生が喜んで頂いたような気がする。こっちも、また一緒に有り難うなる。それが、おかげを呼ぶのだ。まあ、私は今日はもう、本当に汽車の中で示現活動を一人で一生懸命させてもらいました。
まあ、相手は分かったか分からんか知りませんけれども。ね、そして、それでもやっぱり何とかかんとか、金光教の信者さんとかというような、難しい先生がおりました。それで私が、最後にこの、今日の教官の挨拶をです。ね、自由にして創造的な金光大神を頂きたいと、教官は言われたじゃないですかと。そげな事がありましたか、そげな言葉がありましたかち。アンタ眠っとったろうと言うて、私が申しました。ね。
これからの金光教はです、金光教を本当に世界に広げて行くには、もっと、もっと偉大な大きな金光教にしなければいけないんだと。十人と言えば様々な生き方があるのだと。だから、あの生き方は間違いで、この生き方は合うとるといったような事があろう、あって良かろうはずがないのだ。しかも、その人、その人の個性が現れた金光教。言うならば、そしたら、横に聞いておりました先生が。
その、今の合楽の生き方こそ、自由にして創造的な、しかも人の真似の出来ない創造的なごひれいの現れ方だなと言うておりました。もう、それでお話が済みました。ね。合楽の場合、いつの場合でもです、創造的です。ね、いわゆる次の新たな信心。そして、今日また私は。ね、私共ただ有り難い、有り難いという。ね、ただ何事でも有り難く頂いてさえ行きゃ良い。なるほど、天地の芯にも通じましょう。ね、けれどもね、いよいよ自力から他力への転換期であるところに、まだスッキリしないものがございます。ね。
一生懸命、朝参りするとも、これは自力じゃなかろうかて何てん、やっぱ言う人もあります。やはり、ある意味においては自力ですけれども。それこそ、有り難うして、有り難うしてお参りが出ける。ね、朝寝坊しておるとを、その神様からそれこそ起こされるような感じを受ける。してみると、神様のおかげでお参りが出けておるのですから、他力によるものだという事なんです。まだ、この辺の私自身もスッキリしませんけれども、この他力という信心には、もう無限であり、限りがない。この話を汽車の中でしました。
そしたらもう、驚いてしまってました。私が二十数年間、お導きという事を言わなかった事。それは、自分の力を知ってるからだと。百金しか持てん者に、百五十金のものが来たとこでね、五十金の置いて行かなきゃならん。そんな事では信者が可哀想な。だから、私の持てる力だけというような事でしたから、むしろお導きはするという事、人にもまた、それが合楽の言うならば流儀にでもなるだろうかとさえ思うたくらいでした。
ね、ところが、人力を捨てて、神力にすがる。そこから湧いてくる、自ずと湧いてくるところの人力というものは、これはもう限りがないものなん。ね。それをです、私はね、いわゆる金光大神のおかげで、金光様、貴方のおかげでというところをです、これから一つ極めて行きたいと思います。ただ、有り難くという頂くだけではない。その有り難いというその心で、金光様貴方のおかげでというところに、大坪総一郎は(亡くなる?)。ね。
そこに、例えば現在、合楽で起こっておるところの奇跡に、まあ奇跡と言うよりも、信心と言うか。おかげがね、いよいよ有り難いものに広がって行くという事になるのです。はあ、まだ私共には良い先輩が、良い手本がある。せめて、それこそ毎朝、ね、月桂冠の超特急のお神酒を毎日一本ずつ、余分にお供えが出けれるような、有り難いというものをそこに感じて。そういう信心に進んで行くという事がです。ね、阿倍野の、それこそ百本あまりぐらいの、有り難き、勿体無きの御心眼に。
しかも下に、もうそれこそギラギラ光るような八波の御紋生を頂いた時にです。ただ、有り難い、勿体無きだけではいけないんだ。その、有り難い、勿体無きも金光様、貴方のおかげで頂けておるのであり、金光大神の御取次ぎの働きを受けなければ、私共はここ一寸動けないほどしの私達であるんだという時に、金光様に対する、本当に阿倍野の先生じゃないですけれども。ね、あれほどしの沢山な、何千人の信者を連れて。そして、金光様の前に沢山のお初穂を奉って。ね、そして、ただ仰る事は、金光様おかげを頂いて有り難うございますという事。
それこそ、脇で聞いておって、身震いの出るほどしの有り難さである。おかげを受けて有り難うございます、有り難うございますと言うておっても、その有り難うございますが何時の間にか消えて行く。ね、いつの間にか薄らいで行くといったような有り難いというのではいけません。言うならば、その芯の芯から。ね、有り難うならせて頂くために、もちろん、いよいよ成り行きを尊ばせてもらい、御事柄としての受け方。
ね、一切を有り難く受けさせて、合掌して受けて行こうという、そういう姿勢を持ってです。改めてまた、ね、私共はもう、教祖金光大神の御働きによる事だ。二代金光様、三代金光様。おかげで、今日の合楽がございます。今度の報徳祭はね、そういう思いを込めて。ね、それこそ自由にして、いよいよ創造的な合楽の信心を広げて行かなければならない。しかも、合楽示現活動という、その神様の御働きに参画させて頂くおかげを頂かなければならないと、いよいよ意を。ね。いわゆる、決心させて頂いて、今日、今度は帰って参りました。
これが、今度の御本部参拝の、まあいわばお土産でございました。ね、どうぞ皆さん、16日の御大祭にはです。それこそ、まあだ、5~6日ある訳でございますから。もう、誰でも合楽示現活動を、一つ言うなら縁を作っておきます。参らんでも良か、聞かんでも良か。反発されてもええ。とにかく、何時いつは合楽の御大祭ですから、もうこういう私は、御大祭といったような時ほどね、皆に勧めよい事はないと思うんです。
ね、お祭りを拝むじゃなくて、見げ来るでもええ。ね。そして、御大祭のごひれいに浴させて頂くという事がです、私は一番手っ取り早い合楽示現活動であると思うのです。とにかく、人に伝えておくのです。ね、そして、それがいよいよ助かって行く働きを、いよいよ有り難いものにして行く事の為に、有り難いというものを、いよいよ、ね、確かなものに。しかも、ただ、私が、ね、修行して有り難くなったとか。ただ、磨いたから有り難くなったとか。ね、改まったから有り難くなったというだけに止まっておった有り難さをです。
金光様、貴方のおかげで今日の合楽があります、今日の私がありますというようなね、金光様に対するところの絶大なる有り難さというものをです、身にいよいよ付けて行かなければならない。そこに、今日私が頂きました、ね。いわば、阿倍野の御信心は、それこそ百本ぐらいなお三酒があるです。金光様、貴方のおかげでというのが、そういう内容になって、今日の阿倍野教会があるんだ。
これからの合楽教会におきましてもです。そういう、有り難い、勿体無きを一本ずつでもです、増やさせて頂くところのおかげを頂く。ただ、( )を黙って受けるとか。ね、成り行きを尊ぶとか。ね、御の字を付けて頂くという事だけではなくて、いよいよ御取次ぎを頂いて、改まらせてください。御取次ぎを頂いておかげを頂かせてもらうところからです。お取次ぎの働きを、山田先生の話じゃないけれども。
そこに、ね、それこそ不思議と思わなければおられない働きが、自分の心の中にも頂けて来るようになって来る。この頃、えー、あの、(赤地?)の方からお参りになった、佐田さんとこの御親戚の方が今日御本部に行って。もう、時間がないもんですからね。もう、この頃は合楽にお参りをして有り難うして、有り難うして、もうとにかく有り難かったのがです、だんだん少しばっかり、こう薄うなって来よる。それで、まあ本当にお話を一言でもと。
けれども、まあ、あの、大先輩、佐田さん御夫婦がおられますから。まあ、お話を頂いて帰られた事であろうと思いますけれどもです。ね、必ず有り難い、勿体無いは、いわば栓を抜いとくと、気が抜くるです。お神酒と同じ事ってす。だからもう、次から次と有り難いものがそこから湧いて来るような有り難さというものが頂けれれる信心を、いよいよ目指さなければならんと思うのでございます。どうぞ。
末永信太郎 ( 8月25日 )